- 結論:緑内障はまだ「治せない」。しかし、治療の目標は確実に変わり始めている
- 「視力」と「視野」は違う
- 眼圧を下げる効果は、大規模試験で確認されている
- 第1の壁:残っている神経細胞を死なせない
- 第2の壁:弱った神経の機能を戻す
- 第3の壁:軸索を脳まで伸ばす
- 第4の壁:正しい脳の場所につなぐ
- 第5の壁:長期間、安全に働かせる
- ニコチンアミド:ビタミンB3を利用した代謝治療
- 第3相試験まで進んでいる
- 高用量ニコチンアミドを自分で飲んではいけない
- エピジェネティックとは何か
- マウスでは視神経再生と機能回復が報告された
- 2026年6月、最初の参加者に投与
- 「治った人が出た」というニュースではない
- PTENとmTOR
- 低分子化合物M1
- 動物で成功しても、人で成功するとは限らない
- マウスの網膜では生着や統合が確認されている
- 「幹細胞治療」を名乗る自由診療には注意が必要
- 第1段階:眼圧管理をより簡単・確実にする
- 第2段階:眼圧治療に神経保護治療を追加する
- 第3段階:弱っている神経の機能を部分的に戻す
- 第4段階:失われた細胞と視神経を完全に再構築する
- 1.人の研究か、動物実験か
- 2.細胞が生き残っただけか、実際に見えるようになったか
- 3.第何相試験か
- 4.比較対象があるか
- 5.観察期間は十分か
- 6.「視力」と「視野」を混同していないか
- 眼圧検査だけで安心しない
- 治療を自己判断で中断しない
- 高用量サプリメントを自己判断で使わない
- 未承認の幹細胞・エクソソーム治療に注意する
- 急な目の痛みは通常の慢性緑内障とは別に緊急性がある
結論:緑内障はまだ「治せない」。しかし、治療の目標は確実に変わり始めている
2026年8月現在、緑内障で一度失われた視野を元に戻す、承認済みの治療法はありません。日本緑内障学会も、失われた視機能や視野障害を取り戻す方法はまだないと説明しています。現在の標準治療の中心は、眼圧を下げて、残っている視機能をできるだけ長く守ることです。
ただし、研究の方向は「悪化を遅らせる」だけではなく、次の段階へ進みつつあります。
| 「治す」の意味 | 2026年時点の状況 |
|---|---|
| これ以上悪くならないようにする | すでに多くの患者で可能。ただし完全に止められない場合もある |
| 毎日の点眼なしで眼圧を管理する | レーザーや手術などにより、一部の患者で可能 |
| 弱っているが生きている神経の機能を回復させる | 小規模な人の試験で兆候があるが、未確立 |
| 死んだ神経細胞を再生し、失った視野を取り戻す | 主に動物実験段階 |
| 神経を置き換え、目から脳まで正しく再接続する | 基礎研究段階であり、最も難しい |
特に注目されるのは、2026年6月、老化した細胞の働きを若い状態に近づけることを目指す治療候補「ER-100」が、人への第1相試験に入ったことです。しかし、この試験の主目的は安全性の確認であり、緑内障の視野が回復すると証明されたわけではありません。
したがって、この記事の主題である「緑内障は治せるようになるか」に対する最も正確な答えは、次のようになります。
将来、一部の緑内障で神経機能を守ったり、部分的に回復させたりできる可能性は十分にあります。しかし、失われた視神経と視野を完全に再生する治療がいつ実現するかは、現時点では分かりません。
1.そもそも緑内障とは何か
緑内障は、単に「眼圧が高くなる病気」ではありません。
より正確には、目で受け取った映像を脳へ送る視神経が傷み、視野が少しずつ失われていく病気の総称です。視神経の中心的な構成要素が、網膜に存在する「網膜神経節細胞」、英語でRetinal Ganglion Cell、略してRGCです。
目をカメラにたとえると、次のように考えられます。
- 角膜や水晶体:レンズ
- 網膜:撮像センサー
- 網膜神経節細胞と視神経:映像を脳へ送るケーブル
- 脳:映像を認識する処理装置
緑内障では、この「映像ケーブル」に相当する部分が徐々に壊れていきます。
「視力」と「視野」は違う
学校や健康診断で測る「1.0」「0.7」などの視力は、主に真正面の細かい文字を見分ける能力です。
一方、視野は「どの範囲まで見えているか」を表します。緑内障では、中心の視力が保たれたまま、周辺の見えない部分が増えていくことがあります。そのため、かなり進行するまで本人が気づかない場合があります。日本緑内障学会も、中心部まで進行しなければ視力が保たれることが多く、異常を自覚しにくいと説明しています。
さらに、人間の脳には、片方の目で見えにくい部分をもう片方の目の情報で補う働きがあります。見えない部分を脳が周囲の映像で埋めてしまうこともあります。そのため、「視野に黒い穴が見える」という分かりやすい症状が、必ず早期から現れるわけではありません。
2.眼圧が正常でも緑内障になる
眼球の内部では「房水」と呼ばれる液体が作られ、一定の経路から排出されています。この液体によって保たれる眼球内部の圧力が眼圧です。
眼圧が高いほど視神経への負担は増えやすくなります。しかし、眼圧が一般的な正常範囲内でも緑内障になる人がいます。これを正常眼圧緑内障と呼びます。
日本緑内障学会は、日本の緑内障の約7割が正常眼圧緑内障であると説明しています。つまり、日本では「眼圧が正常だったから緑内障ではない」とは判断できません。
重要なのは、正常眼圧という言葉が「視神経にとって安全な圧力」を意味するわけではないことです。
同じ眼圧でも、
- 視神経の強さ
- 遺伝的な体質
- 年齢
- 強度近視
- 眼圧の日内変動
- 視神経への血流
- 酸化ストレス
- ミトコンドリアの働き
- 睡眠時無呼吸などの全身状態
によって、視神経が受ける影響は異なると考えられています。ただし、眼圧以外の要因については、研究上の関連が示されていても、まだ標準的な治療に結び付いていないものが少なくありません。
3.日本では40歳以上の約20人に1人
2000~2001年に岐阜県多治見市で行われた「多治見スタディ」では、40歳以上の緑内障有病率は約5%でした。単純に言えば、40歳以上のおよそ20人に1人です。ただし、これは2000年代初頭に一地域で行われた調査であり、2026年現在の日本全国の有病率を直接示す数字ではありません。
日本緑内障学会は、緑内障を国内の中途失明原因の第1位と位置付けています。自覚症状に乏しく、発見や治療開始が遅れやすいこと、治療を中断してしまう人がいること、失われた神経を回復させる治療がないことなどが背景にあります。
世界的にも患者数は増えると予測されています。2026年に発表された世界規模の解析では、40歳以上の開放隅角緑内障患者は、2024年の推計約8,050万人から、2060年には約1億8,660万人へ増えると予測されました。高齢化に加えて、近視人口の増加も影響するとされています。
4.現在の治療は何ができるのか
現在、緑内障治療で最も確実に効果が確認されているのは、眼圧を下げることです。
治療方法には、大きく分けて次の3種類があります。
- 点眼薬などの薬物療法
- 選択的レーザー線維柱帯形成術などのレーザー治療
- 線維柱帯切除術、チューブ手術、低侵襲緑内障手術などの手術療法
日本の緑内障診療ガイドラインも、現在最も確実な治療法は眼圧下降療法であり、薬物、レーザー、手術を患者ごとに選択するとしています。
眼圧を下げる効果は、大規模試験で確認されている
OHTS:緑内障になる前から眼圧を下げる効果
Ocular Hypertension Treatment Studyでは、まだ緑内障性の障害がないものの、眼圧が高い1,636人を対象にしました。
5年間で緑内障を発症した割合は、
- 点眼治療群:4.4%
- 経過観察群:9.5%
でした。眼圧を下げることで、発症リスクが大きく低下したことになります。ただし、すべての高眼圧症の人が治療を必要とするわけではなく、視神経の状態や角膜の厚さ、年齢などを含めて判断する必要があります。
EMGT:すでに緑内障がある人でも進行を遅らせられる
Early Manifest Glaucoma Trialでは、初期緑内障患者255人を、すぐに眼圧を下げる群と、治療せず観察する群に分けました。
約6年間で進行した割合は、
- 治療群:45%
- 無治療群:62%
でした。治療によって進行する人は減り、進行するまでの時間も延びました。
しかし、この結果には重要な意味があります。
治療群でも45%が進行したのです。
これは眼圧治療が無意味ということではありません。眼圧下降は明確に有効です。ただし、「眼圧を下げれば全員の進行を完全に止められる」というわけでもありません。
UKGTS:点眼薬が視野悪化を抑えることを直接確認
United Kingdom Glaucoma Treatment Studyでは、新たに診断された開放隅角緑内障患者516人に、眼圧を下げるラタノプロスト点眼または偽薬を使用しました。
2年間の追跡で、ラタノプロスト群は偽薬群より視野が保たれる期間が長く、視野悪化のハザード比は0.44でした。眼圧の平均低下量は、ラタノプロスト群で3.8mmHg、偽薬群で0.9mmHgでした。
LiGHT試験:レーザーを初期治療にする選択肢
LiGHT試験では、開放隅角緑内障または高眼圧症に対して、点眼薬から始める方法と、選択的レーザー線維柱帯形成術、通称SLTから始める方法が比較されました。
6年後、SLT群の約69.8%の眼が、点眼薬や切開手術を使用せず目標眼圧内に維持されていました。病気の進行は、SLT群19.6%、点眼群26.8%でした。必要に応じてSLTを再施行することはありますが、毎日の点眼負担を減らせる人がいることを示しています。
5.眼圧治療は「治癒」ではない
ここで、「病気を管理できること」と「病気が治ること」を区別する必要があります。
現在の点眼、レーザー、手術は、主に眼圧を下げる治療です。これらは残っている視機能を守るために非常に重要ですが、すでに死んだ網膜神経節細胞を生き返らせるものではありません。
また、眼圧を十分に下げても、
- 病気の進行が速い人
- 正常眼圧でも進行する人
- 眼圧以外の要因が強く関係している人
- すでに視神経障害が進んでいる人
では、視野悪化が続く場合があります。
そのため、次世代の治療では、眼圧を下げるだけでなく、神経そのものを守る「神経保護」、弱った神経の働きを戻す「神経機能回復」、失われた神経を作り直す「神経再生」が必要になります。
6.視野を取り戻すには、5つの壁を越えなければならない
緑内障の視野を本当に回復させるためには、単に新しい神経細胞を作ればよいわけではありません。
第1の壁:残っている神経細胞を死なせない
まず、まだ生きている網膜神経節細胞を守る必要があります。
緑内障では、細胞が完全に死ぬ前に、
- エネルギー不足
- 軸索輸送の障害
- ミトコンドリア機能の低下
- 酸化ストレス
- 炎症
- 神経栄養因子の不足
などによって、機能が低下している期間があると考えられています。
第2の壁:弱った神経の機能を戻す
まだ死んでいない神経であれば、環境を改善することで働きが戻る可能性があります。
実際、初期緑内障で眼圧を下げた後、網膜神経節細胞の電気的な反応が部分的に改善した研究があります。ただし、これは死んだ神経が再生したことを示すものではなく、機能低下していた神経が回復した可能性を示すものです。
第3の壁:軸索を脳まで伸ばす
網膜神経節細胞から伸びる長い線維が軸索です。軸索は視神経を通って脳まで到達します。
成人の哺乳類では、中枢神経の軸索は通常ほとんど再生しません。細胞の成長能力が低下しているだけでなく、損傷部周辺には再生を妨げる環境も存在します。
第4の壁:正しい脳の場所につなぐ
軸索が伸びるだけでは視覚は戻りません。
明るさ、色、動き、形、位置など、それぞれの情報を扱う神経が、脳内の正しい場所へ到達し、適切な回路を作る必要があります。誤った場所につながれば、正常な映像として認識できません。
第5の壁:長期間、安全に働かせる
再生した神経が、
- 異常な増殖を起こさない
- 炎症を起こさない
- 免疫反応で排除されない
- 正常な電気信号を送り続ける
- 必要に応じて髄鞘を形成する
ことも必要です。
つまり、緑内障の完全な再生治療は、「切れたケーブルを伸ばす」だけではなく、「何十万本ものケーブルを正しい端子へ配線し直す」作業に近いのです。
7.最も実用化に近い候補:神経を守る治療
完全な神経再生より先に実現する可能性が高いのが、残っている網膜神経節細胞を守る神経保護治療です。
ニコチンアミド:ビタミンB3を利用した代謝治療
ニコチンアミドは、ビタミンB3の一種です。
網膜神経節細胞は大量のエネルギーを必要とします。そこで、細胞のエネルギー生産を担うミトコンドリアや、細胞内のNAD代謝を支えることで、神経細胞を保護できないかという研究が進められています。
2022年に報告された第2相試験では、ニコチンアミドとピルビン酸を併用した群で、短期間ながら視野検査上の機能改善が観察されました。ただし、試験期間は短く、長期的な視野悪化を防げると証明したものではありません。
2026年に発表された正常眼圧緑内障のクロスオーバー試験では、53人が参加し、ニコチンアミド投与によって網膜の電気生理学的指標が改善しました。一方、一般的な視野検査のMD、PSD、VFIなどには有意な改善が確認されませんでした。つまり、「神経の反応に変化があった可能性」は示されましたが、患者が実感できる視野改善や長期的な失明予防はまだ証明されていません。
第3相試験まで進んでいる
英国では「NAMinG」と呼ばれる第3相試験が進行中です。
この試験では、早期から中等度の開放隅角緑内障患者378人が無作為化され、標準的な眼圧治療に加えて、1日3グラムのニコチンアミドまたは偽薬を27か月間服用します。募集は2026年4月に終了しており、試験終了予定は2028年11月です。結果はその後12か月以内に公表される予定です。
この試験が成功すれば、眼圧治療に加える初めての本格的な神経保護治療につながる可能性があります。
しかし、結果はまだ出ていません。
高用量ニコチンアミドを自分で飲んではいけない
ニコチンアミドはビタミンですが、臨床試験で使われている量は一般的な栄養補助の範囲を大きく超えます。
緑内障試験中に、1日3グラムのニコチンアミドが原因と考えられる薬物性肝障害が報告されています。米国緑内障学会と米国眼科学会は、肝障害の可能性があるため、1日3グラム以上の使用を臨床試験外では推奨していません。ニコチンアミドは緑内障治療薬として承認されておらず、長期安全性も確立していません。
市販の「ビタミンB3」には、ニコチンアミドではなくナイアシンが含まれる場合もあります。両者は同一の薬剤として扱えません。
8.神経栄養因子を目の中で作り続ける「NT-501」
もう一つの神経保護候補が、CNTFという神経栄養因子を利用する治療です。
CNTFは、神経細胞の生存や機能を支える働きが研究されているたんぱく質です。しかし、通常の点眼では網膜や視神経へ十分に届けることが難しく、効果を長期間維持する必要もあります。
そこで開発されたのが「NT-501」です。
NT-501は、CNTFを分泌する細胞を小さなカプセル状の装置に封入し、その装置を目の中へ入れる治療です。移植した細胞が患者の網膜細胞になるわけではなく、いわば「神経を支える物質を作る小型工場」として働くことを目指します。
原発開放隅角緑内障患者を対象にした第1相試験では、11人を18か月追跡し、装置はおおむね安全で忍容性があると報告されました。構造・機能面で好ましい変化の兆候もありましたが、参加人数が少なく、有効性を断定できる試験ではありません。
無作為化・偽手術対照の第2相試験も登録されていますが、2026年8月18日時点で、治療効果を確定できる査読済みの最終結果は確認できません。
9.2026年最大の転換点:ER-100が人への試験に入った
2026年の緑内障再生研究で最も注目すべき出来事の一つが、部分的エピジェネティック・リプログラミングを利用するER-100の第1相試験です。
エピジェネティックとは何か
人間の細胞は、基本的に同じDNAを持っています。それでも、皮膚細胞と神経細胞では働きが異なります。
これは、どの遺伝子を使い、どの遺伝子を休ませるかという「遺伝子のスイッチ設定」が異なるためです。このDNA配列そのものを変えずに遺伝子の使われ方を調整する仕組みが、エピジェネティクスです。
加齢や病気によって、このスイッチ設定が乱れ、細胞の修復力や機能が低下する可能性があります。部分的リプログラミングは、細胞を完全に初期化するのではなく、細胞の種類を保ちながら、一部の遺伝子制御を若い状態へ近づけようとする考え方です。
マウスでは視神経再生と機能回復が報告された
2020年にNatureに掲載された研究では、Oct4、Sox2、Klf4という3つの転写因子、通称OSKを網膜神経節細胞で働かせました。
その結果、マウスにおいて、
- 損傷後の視神経軸索の再生
- 老化に伴う遺伝子制御の変化の一部回復
- 実験的緑内障で低下した視覚機能の改善
- 高齢マウスの視覚機能改善
が報告されました。
これは、成熟した神経細胞の再生能力が完全に失われているわけではなく、細胞内の遺伝子制御を変えることで、再生能力を引き出せる可能性を示した重要な研究です。
ただし、マウスの実験結果です。人間の慢性緑内障で同じ程度の効果が得られるかは分かりません。
2026年6月、最初の参加者に投与
ER-100は、このOSKを利用する治療候補です。
ClinicalTrials.govに登録されたNCT07290244は、開放隅角緑内障または非動脈炎性前部虚血性視神経症の患者を対象とする、初めて人に投与する第1相試験です。最大18人を予定し、単回投与後の安全性と忍容性を主に調べます。長期的な安全性を確認するため、最長5年間追跡する計画です。
開発企業の発表によると、最初の参加者への投与は2026年6月9日に行われました。
「治った人が出た」というニュースではない
この試験について最も注意すべき点は、第1相試験であることです。
第1相試験の中心的な質問は、
- 投与して重大な問題が起こらないか
- どのような副作用が起こるか
- どの用量が安全か
- 免疫反応や炎症が起こらないか
という安全性です。
視機能も測定されますが、参加者数が少なく、偽薬対照の大規模試験ではありません。したがって、仮に一部の検査値が改善しても、それだけで効果が証明されたとは言えません。
2026年8月18日時点で、人におけるER-100の有効性を示す結果は公表されていません。現段階では、「視神経若返り治療が人への試験に到達した」という大きな科学的節目であり、「緑内障が治ると証明された」段階ではありません。
10.視神経そのものを伸ばす研究
成人の視神経は再生しにくいものの、動物実験では再生を引き起こせることが分かってきました。
PTENとmTOR
2008年のScience論文では、網膜神経節細胞のPTENという遺伝子の働きを抑えることで、mTORと呼ばれる細胞成長経路が活性化し、マウスの損傷した視神経軸索が大きく再生しました。
この研究は、「成人の視神経は原理的に絶対再生しない」のではなく、「細胞内の成長スイッチが止まっているため再生しにくい」という側面があることを示しました。
ただし、PTENは細胞増殖などにも関わる重要な遺伝子です。視神経再生だけを安全に引き出せる方法が必要になります。
低分子化合物M1
2022年には、M1と呼ばれる低分子化合物によってミトコンドリアの働きを調整し、動物の視神経再生、脳内標的への到達、神経活動と視覚機能の回復を促した研究が報告されました。
薬として投与できる低分子化合物は、遺伝子を直接変更する方法より開発しやすい可能性があります。しかし、これも動物の視神経損傷モデルにおける結果であり、人の慢性緑内障での効果や安全性は確認されていません。
動物で成功しても、人で成功するとは限らない
実験で使われる「視神経挫滅モデル」は、視神経を物理的に傷つける急性モデルです。
一方、人間の緑内障は、多くの場合、何年もかけて神経細胞と軸索が徐々に障害される慢性疾患です。
両者には、
- 損傷速度
- 炎症反応
- 残っている神経細胞の数
- 年齢
- 視神経周囲の環境
- 脳内回路の変化
などに違いがあります。
そのため、動物の視神経損傷を回復させた治療が、そのまま緑内障患者の視野を回復させるとは限りません。
11.幹細胞で網膜神経節細胞を置き換えられるか
病気が進行し、網膜神経節細胞そのものが死んでいる場合、残った細胞を保護するだけでは視野を取り戻せません。
そこで考えられているのが、iPS細胞などから網膜神経節細胞を作り、目に移植する方法です。
マウスの網膜では生着や統合が確認されている
2024年の研究では、ヒトiPS細胞から作られた網膜神経節細胞の前駆細胞をマウスの網膜に移植しました。
移植した細胞の一部は生存し、網膜神経節細胞層へ移動し、神経細胞の特徴を示しました。免疫抑制によって生存率が改善することも報告されています。
これは重要な基礎研究ですが、次のことはまだ証明していません。
- 人間の緑内障患者で安全に生着する
- 移植細胞が長期間生きる
- 軸索が視神経内を長距離伸びる
- 脳の正しい場所へ到達する
- 視野が回復する
- 異常な細胞増殖を起こさない
現在の最大の壁は、細胞を作ることより、新しい細胞を既存の神経回路に正しく組み込むことです。
「幹細胞治療」を名乗る自由診療には注意が必要
米国FDAは、幹細胞やエクソソームを使う未承認の再生医療について、視覚障害や失明などへの有効性が証明されていない治療が販売されているとして注意を呼びかけています。
「再生医療」「幹細胞」「エクソソーム」という言葉が使われていても、
- 承認された治療なのか
- 正式な臨床試験なのか
- 査読論文があるか
- 対照群が設定されているか
- 有害事象が公開されているか
を確認する必要があります。
2026年現在、網膜神経節細胞を移植し、緑内障で失われた視野を回復させる承認済み治療はありません。
12.遺伝子編集は一部の遺伝性緑内障に有効かもしれない
緑内障には多くの遺伝要因が関係しています。その中には、特定の遺伝子変異が原因となるタイプもあります。
代表例がMYOC遺伝子の変異です。
2017年の研究では、CRISPR-Cas9を使って変異MYOC遺伝子の働きを抑えることで、培養したヒト線維柱帯細胞のストレスを減らし、MYOC変異を持つ緑内障モデルマウスの眼圧上昇と神経障害を抑えました。
ただし、MYOC変異は原発開放隅角緑内障全体の一部です。論文では約4%とされています。
このような遺伝子編集は、
- 原因となる変異が明確
- 発症前または神経障害が軽い
- 編集対象を目の組織に限定できる
場合には有望かもしれません。
一方、すでに失われた網膜神経節細胞を戻す治療ではありません。どちらかといえば、特定の遺伝性緑内障を原因から予防・制御する方向の研究です。
13.最初に「回復治療」の恩恵を受けるのは誰か
これはまだ確定していませんが、現在の研究から一つの推論ができます。
最初に機能回復治療の恩恵を受ける可能性が高いのは、網膜神経節細胞が完全に消失していない、初期から中等度の患者だと考えられます。
その理由は、次の通りです。
- 初期緑内障では、眼圧下降後に神経の電気的反応が部分的に改善した研究がある
- ニコチンアミド研究も、弱ったミトコンドリア機能や神経反応の改善を狙っている
- ER-100も、残っている網膜神経節細胞の機能を回復させる発想である
- 神経細胞が完全に失われた状態では、細胞移植と脳への再接続が必要になる
これは現時点の研究から導かれる推論であり、臨床的に証明された結論ではありません。
しかし、将来の回復治療を考えても、現在残っている神経をできるだけ多く守ることが重要なのは変わりません。将来優れた再生治療が登場しても、残存神経が多いほど治療しやすい可能性があります。
14.「緑内障が治るまであと何年か」は分からない
新しい研究が報道されると、「10年後には治る」「もうすぐ視神経が再生できる」といった表現が使われることがあります。
しかし、現在のデータから、完全治癒の時期を正確に予測することはできません。
2026年時点の現実的な順序は、次のようになる可能性があります。
第1段階:眼圧管理をより簡単・確実にする
これはすでに進んでいます。
SLT、低侵襲手術、長時間作用する薬剤投与技術などにより、
- 点眼回数を減らす
- 点眼忘れを減らす
- 眼圧変動を小さくする
- 必要な眼圧までより安全に下げる
方向です。
ただし、これは管理の改善であり、失われた視野の回復ではありません。
第2段階:眼圧治療に神経保護治療を追加する
最も現実的な次の一歩です。
ニコチンアミドの第3相試験などが成功すれば、「眼圧を下げる治療+神経を守る治療」という組み合わせが標準になる可能性があります。NAMinG試験の結果が分かるのは、早くても2028年末以降です。
第3段階:弱っている神経の機能を部分的に戻す
ER-100や代謝治療、神経栄養因子治療などがこの段階を目指しています。
完全に死んだ神経を作り直すのではなく、まだ生きている神経の状態を改善し、検査上または日常生活上の視機能を回復させる方向です。
ここでは、次の点を確認する必要があります。
- 改善は一時的か、長期的か
- 視野検査上の変化だけでなく、生活上の見え方も良くなるか
- 病気の進行速度も遅くなるか
- どの段階の患者に効果があるか
- 効果を繰り返し維持できるか
第4段階:失われた細胞と視神経を完全に再構築する
最も難しい段階です。
幹細胞から網膜神経節細胞を作り、網膜に生着させ、軸索を脳まで伸ばし、正しい神経回路へ接続する必要があります。2026年現在、この段階は主に動物実験と基礎研究です。
したがって、「完全な視野再生治療が5年後なのか、20年後なのか、それ以上なのか」は分かりません。
15.研究ニュースを読むときのチェックポイント
「緑内障の視力が回復」「視神経再生に成功」といったニュースを見たときは、次の点を確認すると、過大評価を避けられます。
1.人の研究か、動物実験か
マウスで視覚機能が改善したことと、人間の緑内障患者で視野が回復したことは別です。
2.細胞が生き残っただけか、実際に見えるようになったか
網膜神経節細胞の数が増えたこと、軸索が伸びたこと、視野が回復したことは、それぞれ異なる成果です。
3.第何相試験か
- 第1相:主に安全性
- 第2相:有効性の兆候と用量
- 第3相:多数の患者で有効性と安全性を比較
- 承認後:実際の医療現場での長期評価
第1相試験の開始は大きな前進ですが、治療効果の証明ではありません。
4.比較対象があるか
治療群だけを見ても、自然な検査変動、視野検査への慣れ、偶然の改善を区別できません。偽薬群や偽手術群との比較が重要です。
5.観察期間は十分か
緑内障は何年もかけて進行する病気です。数週間から数か月の検査値改善だけでは、長期的な失明予防を証明できません。
6.「視力」と「視野」を混同していないか
中心視力が改善しても、失われた周辺視野が回復したとは限りません。
16.将来の治療を待つ間に、現在できること
眼圧検査だけで安心しない
日本では正常眼圧緑内障が多いため、眼圧が正常でも緑内障を否定できません。
緑内障の評価では、
- 眼圧測定
- 隅角検査
- 眼底・視神経乳頭の観察
- OCTによる網膜神経線維層の測定
- 視野検査
などを組み合わせます。
治療を自己判断で中断しない
緑内障治療では、点眼しても視力が良くなった実感は通常ありません。薬の役割は、今ある視機能を将来へ残すことだからです。
副作用、点眼の難しさ、費用、回数などに問題がある場合は、中断するのではなく、薬の変更、配合剤、SLTなどを眼科医と相談する必要があります。
高用量サプリメントを自己判断で使わない
特に高用量ニコチンアミドは、緑内障治療として承認されておらず、肝障害の報告があります。臨床試験の用量を、市販サプリメントで再現しようとしてはいけません。
未承認の幹細胞・エクソソーム治療に注意する
正式な治験と、高額な自由診療は同じではありません。「患者自身の細胞なので安全」「自然な再生だから副作用がない」といった説明だけでは、安全性や有効性の証明になりません。
急な目の痛みは通常の慢性緑内障とは別に緊急性がある
突然の激しい目の痛み、目の充血、かすみ、吐き気などは、急性閉塞隅角緑内障の可能性があります。これは速やかな治療が必要な救急疾患です。症状がある場合は、通常の受診日を待たず、眼科または救急医療機関を受診する必要があります。
最終結論:緑内障は「治せる病気」に近づいているのか
厳密な意味では、2026年現在も緑内障は治せません。
失われた網膜神経節細胞や視野を元に戻す承認済み治療はなく、現在の標準治療は眼圧を下げ、残っている視機能を守ることが中心です。
しかし、将来への見通しが全くないわけでもありません。
研究はすでに、
- 眼圧を下げる
- 神経を死なせない
- 弱った神経の働きを戻す
- 軸索を再生する
- 死んだ神経細胞を置き換える
という段階へ広がっています。
ニコチンアミドは第3相試験まで進み、CNTFを届ける細胞カプセルも人で研究されています。さらに2026年には、OSKを使った部分的エピジェネティック・リプログラミング治療ER-100が初めて人への試験に入りました。これは、緑内障治療研究が「残った視野を守る」だけでなく、「神経機能を回復させる」方向へ進み始めたことを示しています。
一方、完全な治癒には、死んだ細胞を作り直し、その神経線維を目から脳まで正しく再接続する必要があります。この課題はまだ基礎研究段階です。
したがって、最も妥当な将来像は次の通りです。
緑内障は、ある日突然「完全に治る病気」になるのではなく、まず進行をより確実に止められる病気になり、次に初期・中期患者の神経機能を部分的に回復できる病気へ変わっていく可能性が高い。
そして、完全に失われた視野まで再生できるようになる時期は、まだ分かりません。
だからこそ、将来の再生治療を待つ間も、現在残っている視神経を失わないことが最優先です。早期発見と継続治療は、現在の失明予防に有効であるだけでなく、将来登場するかもしれない回復治療を受けるための土台にもなると考えられます。
調査方法
本稿では、2026年8月18日までに確認できた情報のうち、以下を優先して参照しました。
- 日本緑内障学会および緑内障診療ガイドライン
- 米国国立眼研究所
- ClinicalTrials.gov
- PubMedに収載された無作為化比較試験
- 査読済みの基礎研究・臨床研究
- 2025~2026年の総説
- 臨床試験を運営する大学・研究機関の公式情報
個々の研究結果は、対象患者、緑内障の種類、進行度、評価方法が異なるため、単純に比較できない場合があります。また、進行中の臨床試験の状況は今後変更される可能性があります。
主な参考文献・出典
- 日本緑内障学会「緑内障診療ガイドライン第5版」および学会公式情報。
- National Eye Institute, “Glaucoma.”
- Yamamoto T, et al. “The Tajimi Study report 2: prevalence of primary angle closure and secondary glaucoma in a Japanese population.” Ophthalmology, 2005.
- Wang Z, et al. “Global Glaucoma Prevalence: Burden and Projection to 2060.” American Journal of Ophthalmology, 2026.
- Kass MA, et al. “The Ocular Hypertension Treatment Study.” Archives of Ophthalmology, 2002.
- Heijl A, et al. “Reduction of intraocular pressure and glaucoma progression.” Archives of Ophthalmology, 2002.
- Garway-Heath DF, et al. “Latanoprost for open-angle glaucoma: UKGTS.” The Lancet, 2015.
- Gazzard G, et al. “LiGHT Trial: Six-Year Results of Primary SLT versus Eye Drops.” Ophthalmology, 2023.
- De Moraes CG, et al. “Nicotinamide and Pyruvate for Neuroenhancement in Open-Angle Glaucoma.” JAMA Ophthalmology, 2022.
- Ha A, et al. “Nicotinamide supplementation in normal-tension glaucoma: a crossover placebo-controlled randomised clinical trial.” British Journal of Ophthalmology, 2026.
- University College London, “NAMinG: A Phase III Trial of Nicotinamide in Glaucoma.”
- Shukla AG, et al. “Drug-Induced Liver Injury During a Glaucoma Neuroprotection Trial.” JAMA Ophthalmology, 2024.
- American Glaucoma Society/American Academy of Ophthalmology, “Position Statement on Nicotinamide Use for Glaucoma Neuroprotection,” 2025.
- Goldberg JL, et al. “Phase I NT-501 Ciliary Neurotrophic Factor Implant Trial for Primary Open-Angle Glaucoma.” Ophthalmology Science, 2023.
- Lu Y, et al. “Reprogramming to recover youthful epigenetic information and restore vision.” Nature, 2020.
- ClinicalTrials.gov, NCT07290244, “Evaluating ER-100 for Safety in People With Glaucoma or Non-Arteritic Anterior Ischemic Optic Neuropathy.”
- Park KK, et al. “Promoting axon regeneration in the adult CNS by modulation of the PTEN/mTOR pathway.” Science, 2008.
- Au NPB, et al. “A small molecule M1 promotes optic nerve regeneration to restore target-specific neural activity and visual function.” PNAS, 2022.
- Lei Q, et al. “Integration and Differentiation of Transplanted Human iPSC-Derived Retinal Ganglion Cell Precursors in Murine Retinas.” International Journal of Molecular Sciences, 2024.
- Jain A, et al. “CRISPR-Cas9-based treatment of myocilin-associated glaucoma.” PNAS, 2017.
- Beard E, et al. “From Regeneration Failure to Functional Restoration.” CNS Neuroscience & Therapeutics, 2026.
- Chen X, et al. “Molecular mechanisms after optic nerve injury: Neurorepair strategies from a transcriptomic perspective.” Neural Regeneration Research, 2026.
- U.S. Food and Drug Administration, “Consumer Alert on Regenerative Medicine Products Including Stem Cells and Exosomes.”


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